たまねぎ日記

人生どうでも飯田橋

ランダムに世界を旅することと、皆既日食について

 ランダムに旅をしたい。

 

 多動特有の突発的な思い付きでこのようなことを言っているのではなく、どちらかといえばオタク特有の逆張り精神で思い付いたことである。

 

 もとより、旅行会社が提供するパックツアーなどには全く興味のない人間である。地図を眺めて目的地を決め、航空券を決め、宿を予約することに快感を覚えるタイプの人間だ。

 だから、人並みの観光地に行くのでは面白くない、と思ってしまう。ソウルでも、明洞や梨泰院に行く前に清渓川に行きゲラゲラ笑っていた男だ。おおよそ普通のTripadviserに載っているような観光地では満足できない。

 あれは「ドリトル先生」シリーズだったか。子供の時分に井伏鱒二の訳本を読んだ記憶があるのだが、その中に「世界地図帳を目をつぶって開き、目をつぶったまま鉛筆を落として行き先を決める」という描写があったのを覚えている。子供ながらに、なるほど、このような行き先の決め方があるのかと妙に感心したものだ。

 しかし、よく考えるとこれも「完全にランダムな旅」とは言い難い。なぜなら本の大体どのあたりを開いたのか(最初の方か、真ん中のあたりか、最後のほうか)は目をつぶっていても感触でわかるし、大体の地図は右が東で左が西として描かれているからである。

 大学に入ってから、「緯度経度を乱数で決める」という方法を思いついた。しかし、実際にやってみるとわかるのだが、生成された座標の大半は海上であるし(海洋の面積は地球の表面積のおおよそ70%を占めるので、これは仕方がない)、また陸地に当たったとしても妙に高緯度地域が多い。

 少し考えればこれは必然である。なぜなら高緯度地域になればなるほど経度1度あたりの距離は狭まるからだ。緯度1度あたりの距離はは地球上どの場所で(地球を完全な球体とみなせば)等しいが、経度1度あたりの距離は緯度によって変動する。よって、緯度経度を乱数で決めるという方法も「旅先をランダムに決める」という目的を達成する方法としてはあまり適切とは言い難い。

 どうやら、ここまで「地球上でランダムに決めた点」を旅行対象としていたのが間違っていたようだ。「点」を対象にしていたのでは、陸地(それも、旅行可能な)を引き当てる確率は低い。ある程度の「領域」をランダムに選ぶほうが良さそうだ。

 では、それをどうやって選ぶか。

 まず思いつくのは、「点」を選んだ要領で、「点」から一定の距離の領域を選ぶ方法である。これは一見合理的で良さそうに思える。

 ただ、意外な問題がある。「領域」の中をどのように旅するかだ。たとえば、東京都を中心に半径1000kmの円を描くと、日本列島の大半がその中に収まる。旅行先を決めるにはすこし広すぎる範囲だ。では500kmではどうか。近畿地方と盛岡あたりまでが東京から半径500kmの範囲だ。これでもかなり広い。思い切って半径100kmにしてみる。関東平野がほぼ収まる範囲だ。これならある程度旅程を立てやすそうだ。

 では、同じ要領で、ランダムな座標に対して半径100kmの領域を求めてみよう。

 どうだろう、大半が無人の原野か、最寄りの空港まで1000km以上は離れているだだっ広い大洋・砂漠しか領域の中に残らないのではないだろうか。

 

 僕たちが思っているより、地球は広い。日本列島は、地球全体で見れば、極めて人口が密集している場所だ。日本を基準に考えようとすると、「ランダムに世界を旅する」ことはなかなか難しい。

 そもそも、仮に無人の原野・砂漠に行ったとしても、何があるというのか。おそらく大変な苦労をしてランダムに選んだ地点に辿り着いたとて、そこで感じるのは達成感などではなく、異常なまでの疲労と、「ここから自宅まで帰らなければいけない」という虚無の感情だろう。そんな思いをして目的もない旅をするくらいなら、JTBか何かのパックツアーにでも応募して、何も考えず、添乗員に言われるがままに観光地をバスで巡り、法外な値段のお土産を買って帰国するほうがまだマシだ。

 ところが、それではやはり面白くないのである。

 

 なんとか、「目的があり、かつランダム性のある旅」ができないものか。

 

 ここまで読んで、「うんうん」と頷いてくれる異常者の諸君。ちょっとこのページを見てほしい。

 

theskylive.com

 

 わ、!なんか世界地図にランダムに線が引いてある!

 

 これは、皆既日食が観測できる範囲を世界地図上にプロットしたサイトだ。(Total Solar Eclipseと表記があるものが皆既日食。Annularは金環、Partialは部分なので注意)

 

 皆既日食というと、数十年に一度しか観測できないレアなイベント、というイメージがあると思うが、実はそうではない。

 正確にいえば、「日本では数十年に一度しか観測できない」ということだ。世界規模で見れば、1~1.5年に1回くらいのペースで起こっている。

 この皆既日食、地図を見ればわかるのだが、かなりランダム性が高い。そのくせ、観測可能な領域は細長く、地球上の様々な国、地域を通過する。完全に海上・人口希薄地帯のみを通過する皆既日食のほうが遥かに少ないだろう。

 というわけで、「皆既日食を見に地球のあちこちに出かける」というのは、普通の旅に飽きている旅行オタクにはかなり魅力的な旅になりそうだ。

 

 ちなみに、次回の皆既日食は、2024年4月8日(UT。日本時間では9日の未明3時。)に北米で起こる。(下図参照)

NASA提供

 この地図を見るだけで、「メキシコ行くか?」「いや、テキサス州のほうが交通の便もよさそうだし、英語通じるな…」「よく見るとナイアガラの滝付近でも観れるのか」「思い切ってニューファンドランド島とかもアリだな」といった感じに、無限に色々な旅程を考えられて非常に楽しい。

 筆者はこれを見に行くつもりであるが、まだどこに行くかは決めていない。

 何か面白い(異常な)旅程を思いついたら、筆者のTwitter(@Nerdonion97)まで投げてほしい。

 

 では、またどこかで・・・

 

2023年3月20日

 

 

 

【理系の目】ゆずソフト新作発売間隔における線形性について

 まさかこのようなタイトルで15回目のブログを書くことになろうとは思っていなかった。事の始まりは、Twitterで喫茶ステラの記事を見たことである。ご存じの通り、私は喫茶ステラに並々ならぬ不満を抱いているのだが、その反動というか、ゆずソフトの次作に期待しているのも事実である。

 そこで、私はふと気になったのだ。次作はいつ頃出るのだろうか?と。そこで、Wikipediaを参照しながら、ゆずソフトの11作品がいつ発売され、その発売間隔は何日なのか調べてみた。調べた結果、以下のようになった。

 

・ぶらばん→ExE:308日

・ExE→夏色:357日

・夏色→天神:371日

・天神→のーぶるわーくす:574日

・のーぶるわーくす→ドラクリ:462日

・ドラクリ→天色:483日

・天色→サノバ:581日

・サノバ→千恋:518日

・千恋→リドジョ:609日

・リドジョ→喫茶:630日

 

 最初は、「なんだか最近になるにつれ増えているなぁ」という感想を持った私だったが、ふと、「もしかして、これ線形近似できる?」という工学部思考が頭をよぎった。早速、Excelを利用して線形近似をしてみると、結果は下の通り。

f:id:Nerdonion97:20200604000638p:plain

 うーん。自然現象でもないのにここまで直線上に並ぶのは珍しいなぁ。ちなみに相関係数は0.88だから、かなり有意な結果とみていい。ちなみに、式は以下の通り。

 

 y=33x+275

 

 ただし、xはその作品が何作目かを表す数であり、yはその作品が前作から何日後に発売されるかを示す。

 これに基づいて、空想科学読本よろしく、未来のゆずソフト像を模索してみよう。まず、喫茶ステラの次の作品である12作品目は、喫茶ステラの発売(2019年12月20日)の671日後、2021年10月21日前後に発売されることが予測できる。おそらく、来年の夏頃には予告が入るはずだ。

 さらにその次の13作品目は、12作品目の704日後、2023年9月25日ごろ発売されるだろう。14作品目は2025年10月、15作品目は2027年11月ごろだと予測できる。ここまでが2020年代の間に発売されるであろう作品である。

 時をすこし早めると、記念すべき20作品目が2039年10月3日に発売される。30作品目は2070年4月28日。筆者はこの時73歳であるから、存命が怪しくなってくる。

 21世紀の最後に発売されるのは、第37作目で、2097年2月4日発売。第38作目は世紀が変わってすぐの2101年4月14日発売である。

 発売間隔は毎回33日づつ増えていくので、103作目で初めてその間隔が10年を超えることになる。102作目の発売は、2557年2月18日。その次の103作目はそれから10年1か月後の2567年3月12日となる。2630年代は初めて、ゆずソフトの新作が出ない10年紀(ディケイド)となるだろう。

 さらに未来を見ていくと、三千年紀(西暦2001年1月1日から西暦3000年12月31日)最後のゆずソフト作品は第139作品目、発売は2989年6月29日。四千年紀最初の作品は3002年11月24日発売だ。

 西暦7000年頃には、発売間隔がおおよそ30年に達する。この域になると、前作発売当時18歳の人間でも次作発売時には48歳。恐らくエロゲの世界からはとっくに縁を切っている年齢である。同じゆずソフトのオタクといえども、その意思疎通には困難を伴うに違いない……。「ゆずソフト新作の発売」という現象自体が30年に1度起こるか起こらないかという南海トラフ地震のような現象になり、オタク向けのニュースサイトでは「今後10年間にゆずソフト新作が出る確率は70%」というような予想が飛び交うようになるだろう。

 声優やスタッフ、絵師の続投も困難になってくる。前作収録時に25歳でも次作収録時には55歳。声優ならば一線を退いている可能性が高く、スタッフの引継ぎもままならない。30年前の技術は何も参考にならず、当時の資料は倉庫に30年間眠ったまま、あるいは破棄されている可能性も高いだろう…

 

 とまぁ、このような空想を書き散らしたが、やはり疑問なのは、「エロゲの発売間隔」という自然現象でもなんでもない現象が、なぜあんなに線形近似できるのか。という問題である。これに関しては筆者もパッと答えを思いつかないので、どなたか答えを思いつく方は

https://twitter.com/Nerdonion97

まで答えを投げてほしい。